白内障(はくないしょう)の手術と患者さんの声

横浜相鉄ビル眼科医院のHPはここ

このページは、西伊豆眼科クリニック(横浜相鉄ビル眼科医院と同じ医療法人が運営しています)のHPです。

白内障の手術には非常に自信を持っております。白内障の手術を受けた患者さんの声はこのページの下方をご覧下さい。

私、院長の大高が「自信がある」と言うのには理由があります。

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●手術のビデオは

http://www.youtube.com/watch?v=NL_i9eiR5f8

をご覧下さい。



●白内障とは?

目はカメラと似た構造になっています。レンズにあたる部分が水晶体(すいしょうたい)、フィルムにあたる部分が網膜(もうまく)です。水晶体が加齢やその他の理由(アトピー性皮膚炎などの全身疾患。まれに、特に理由なく若くしてにごる人もいます)で白く濁って、視力が低下した状態が白内障です。

●手術はいつ受ければいいですか?

白内障は、「患者さんが不便をお感じになると手術で治療」、ということになります。しかし、「不便を感じたときって、いつ?」という質問を多く受けます。

個人的には、「矯正視力、すなわちめがねで最大限に矯正した時の視力が0.5をきるようになってきますと、手術を検討してください」、と断言しておきます。というのは、現代の手術では水晶体の中身をくだいて吸い取ってきれいにしますので、あまりに進行すると、中身が硬くなって手術がやりにくくなります。手術がやりにくいということは成功率が落ちるということなので、患者さんにとってデメリットになるわけです。といっても、矯正視力が0.1になるまで眼科にも行かずにほっとくようなお気楽な人もごくごく身近にいるので(私の実の母親です! 体験記はこのページの下をご覧下さい)・・・ま、どれだけ進んでいてもおこったりしませんから、気軽に受診してください(^^)

●手術のやりかた

水晶体はキャンディーのような構造になっています。すなわち、キャンディー本体(核)が袋(嚢(のう))につつまれているわけです。

白内障は、核がにごった状態です。

手術は、嚢の上の部分を丸く切り取って、核のみを破砕吸引して、嚢に眼内レンズを入れます。

この嚢は非常に繊細で、すぐ破損してしまいます。嚢が非常に弱いとかいう理由で破損がやむを得ない場合が多々ありますが、そうでない場合は破損しないようにやることが大切です。

●私が自信を持っているポイント

私は前の職場の静岡では、地元の開業医の先生方から多くの患者さんを紹介していただきました。プロから患者さんを紹介していただく、というのは大変光栄なことで、技術が認められている証拠だと思っています。しかし、患者さんの中には開業医さんご自身のご家族や、ドクター自身も含まれますので、プレッシャーは相当なもんです。医者の不養生といいます。ドクターやその家族は往々にして進行した難しい症例です。

また、平成14年1月から平成17年3月まで、和歌山県のクリニックにて、999人の白内障手術をいたしました(クリニックは、院長の引退に付き廃院)。月平均25.61人です。月といっても、1ヶ月に行くのは1日だけです。純粋なプロとして雇われて手術をしているわけで、絶対に失敗が許されない環境で、1日で、難しい症例も含まれる25人から26人ぐらいを手術してきました。

現在でも、西伊豆眼科クリニックで、毎月白内障手術をやっています(1日平均12例)。横浜相鉄ビル眼科医院で、毎月20から25人を手術しています。西伊豆では、一人暮らしの母に数年ぶりに家族が会いに行ったら寝たきりで、どうも目が見えないような感じなので眼科を受診すると、もう絶望的に進行した白内障で、行きはたんかで運ばれてきたのに、手術が終わったらすたすた歩いて帰る、そんな患者さんもいます。こういう極限まで進行した患者さんの手術はただでさえ非常に難しい上に、しかも必ず(失礼な言葉ながら)ボケているので(ま、ボケていなければその前に自分で病院に行きますよね)、手術中患者さんがあばれたりしますので、絶望的に困難です。こんな、普通ありえないような症例の手術もやっています。

そんな中で技術を磨いてきましたし、今も日々磨いていますので、手術の安定性、技術に関しては絶対の自信を持っています。しかし、決して己の腕におぼれることなく、今後も研鑽してまいります。慢心は技術の一番の大敵ですから。

●手術に関しての私のこだわり

最近テレビなどで、手術時間の短さを自慢するドクターが見受けられますが、私はまったく違うことを重視して手術をやっています。

これを読んで下さっている患者さん、または患者さんのご家族も何らかのプロ(主婦なら家事のプロ)なのでおわかりいただけると思うのですが、仕事というものは、早く終わりたいと考えてやると、数多くやるうちには必ずミスや雑な仕事が発生します。私は目手術のプロとして全人生をかけてこの仕事をやっていますから、常に良い仕事をしたいし、そんなことは許されません。私が患者なら、時間は少々かかっても、より良い治療をしてもらいたいですから。

先ほどの繰り返しになりますが、水晶体はキャンディーのような構造になっています。すなわち、キャンディー本体(核)が袋(嚢(のう))につつまれているわけです。

手術は、嚢の上の部分を丸く切り取って、核のみを破砕吸引して、嚢に眼内レンズを入れます。

この嚢は非常に繊細で、すぐ破損してしまいます。嚢が非常に弱いとかいう理由で破損がやむを得ない場合が多々ありますが、そうでない場合は破損しないようにやることが大切です。

速さ自慢の先生の手術を見ると、核を破砕する機械の口を下に向けたまま全部吸い取っています。こうすると速いし、ほとんどの患者さんで問題なく終了するわけですが、後嚢、すなわち、嚢の後ろ側の一番大事なところがちょっとしたきっかけで急に上がってきて(サージといいます)、核と一緒に吸いとって破損してしまう可能性があります。なので、核を取り出してきて、口を上に向けないまでも、最低限横に向けて破砕することにより、そういうトラブルを避けるわけです。

破砕する手技の部分以外も、私はあえて自分のイメージの8割ぐらいのスピードでゆっくりやっています。眼外の操作は早いにこしたことはないですが、眼内操作をあまりに早くやると、眼内の水の乱流がより強く起こり、それによって眼内組織がうけるダメージも増します。目の内部は繊細なのです。具体的には、目の中での操作をする場合、「シュシュッ」と動くのではなくて、「ぬるっ」という感じで動くわけです。

最近5件連続の手術のビデオを見たところ、手術時間は平均10分30秒でした。時間的にはこんなもんでいいじゃないですか。手術に大切なのは1分2分の時間を短縮することではありません。まれにしか発生しないトラブルも常に想定して、そういう場合にも対処できるようなやり方でやるために、かける時間はかける。そして、動きをあえてゆっくりにすることにより、目へのダメージを最低限にとどめる。これが私のこだわりです。

●手術例

下の左の写真は白内障の中でも最も難症例であるMature type(成熟型)といわれるタイプです。進みきった白内障のために、瞳の中が真っ白なのがわかっていただけると思います。ふつうこんな目、見たこと無いでしょ? こうなると、矯正視力は0.01もありません。

こうなると手術がたいへんです。白内障の手術が一般的になった現代、こういう症例にこそ腕の差が出ますので、プロが見てもうなるような手術を常にできるように技術を磨いています。

下の右の写真が術後です。瞳が真っ黒に戻っています。目の中は暗いので、白くなった水晶体核を取り出して入れた透明な眼内レンズをとおして、黒く見えるわけです。眼内レンズは透明すぎて写真では全く見えません。反射光は角膜で反射しているものです。手術1週間目です。われながらきれいにできていると思います。

手術は、麻酔も含めて痛みが全く無かったと皆さんおっしゃいますね。その点は一番安心してください。手術をうまくやることは当然として、痛くない麻酔に徹底的にこだわっています。ここが患者さんにとっては一番の心配事ですからね。



 ⇒  

●以下、ご紹介くださる先生に代表されるプロと、プロ級の知識を求める患者さん向けです(若いアトピーの患者さんなど)。

上の症例はNSが進行しすぎてmature+intumescerntになった、最も難易度の高い症例です。PEAではなくて、ECCEで施行後1週間の写真です。虹彩のダメージも上方に最小限で、うまくできていると思います。

Matureは、

NSが進んで真ん中が茶色いもの
NSが進みに進んで真ん中まで真っ白なもの
Corticalが進んで真ん中まで真っ白なもの

の3タイプに頭の中で分けて、中が茶色いものはECCEで施行するようにしています。

誤解を恐れずに言うと、普通の症例はPEAで確実に処理できてあたりまえです。

こういう時代だからこそ、上の写真のような難症例をECCEを使って確実に処理できる技術を重視しています。もちろんPEAでも可能ですが、破砕した核で後嚢を破損するリスクを考え、あえて10倍ぐらいめんどうでもECCEを選択しています。迷ったらECCE、ですね。先人のお言葉は重いです。

matureの場合、トレパンブルーで染色しています。染色の過程で、トレパンブルーが角膜内皮に接触すると、内皮は大幅に減少しますので、注意が必要です。試行錯誤の上、最近は内皮に全く接触させることなく、しかも前嚢をばっちり染められるようになりました。その後CCCの時にヒーロンVを使用することにより、ここ2年はmature+intumescent例でもCCCの成功率100%です。

当院ではインターネットを見たアトピーの患者さんが多くいらっしゃいます。この場合、「mature+intumescent+ASC+若年症例」という最も難しいタイプが多々ありますが、それもすべて問題なくクリアーできています。私の個人の技術によるところと自慢したいですが、正直、ヒーロンVには大いに助けられています。なので、良い道具を使う技術がうまい、ということにしておいてください(^^)。これかもうまく使っていきたいですね。

ECCEの時は、かならずCCCのあと、10時と2時の前嚢にintentional tearを入れるようにしております。チン氏帯が弱い症例も多く、tearを入れないと、嚢ごと出てしまうことがありますので。しかし、トレパンブルーでばっちり染めて、最高のCCCができて、しばし自己満足にひたった後、tearを入れるのは辛いものですが(^_^;)・・・・・・

プロの方は3時と6時に残るcortexを発見されると思います。Matureの時は前嚢にcortexがつよくこびりついています。しかもtearを入れていますので、I/Aはあっさりと終わらせたいので、無理にとりません。名より実をとるための、このへんの見切りも大切にしています。

ECCEのときは、ケラトリングを使って、最後に何度も乱視をチェックしながら縫合します。ここをきちっとやると、術後の乱視は2D程度の許容範囲内に収まります。


白内障の手術を受けた患者さんの声です。患者さんの許可をいただき、体験談を掲載させていただきました。


☆彡

Dear Dr,

台風の後、急に秋になってきた気がいたします。
益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。

日が短くなり、母が帰宅する頃、外は暗くなる季節となりました。
先日は、車で家に戻ってくるなり、
「何だか新しい目を入れたみたいに良く見える!」と
術後の感想をもらしていました。

つくべきは名医!ですね。

本当に感謝に堪えません。
ありがとうございました。

ひきつづき、宜しくお願いいたします。

栗田 仁
http://www5f.biglobe.ne.jp/~j-archi

栗田先生は、静岡で街づくりにも関わってらっしゃる、腕が良くてとってもアクティブな建築家です。以前静岡のFMで先生がやってらっしゃる番組に出演させていただいて以来、かわいがっていただいてます。静岡から横浜にお母さまをご紹介いただきました。手術はばっちりです!ありがとうございました。


長い間、大変御苦労様でした。多くの患者ならびに、厄介な父を診ていただき、誠にありがとうございました。感謝、感謝であります。

日赤を終わられて赴任なさる地でも、先生の実力を発揮されて、頑張ってください。

また、お会いできる日を楽しみにしております。ありがとうございました。

大高 功先生へ   宮田潤一

宮田先生は静岡市内で「宮田医院」をご開業の、僕の尊敬するたいへんかっこいい外科医さんです。多くの患者さんの目の手術を紹介いただき、ご自身のお父様の白内障の手術も任せていただきました。(ドクターやドクターのご家族に限って難しい症例なんですが・・・(^_^;))。静岡日赤を退職することを知られたときにいただいたメールを掲載せさせていただきました。宮田先生、こちらこそかわいがっていただき、たいへん感謝しております。



大高先生
4月になってしまいました。大高先生が日赤におられないと実に心許ない今週です。
どこの病院の先生も白内障のオペがお嫌いなのでしょうか?
自分からオペ希望した患者が、他病院受診して説明を聞くと、やっぱやめたーと戻っ
てきてしまいます。オペ前の話で、日帰りオペでもオペ日と翌日は家族の付き添いが
必ず必要とか、オペ後半年は両院に通院するとかいろいろ病院側からの視点のみの要
求が多いのです。
かといって頼むしかないのですが・・・。
先生にはお世話になり、患者は幸せでした。本当にありがとうございました。

このメールは、静岡でたいへんかわいがっていただいている先生からのものです(匿名)。今は逆に、静岡時代の患者さんを紹介して、診ていただいています。
先生、ありがたいお言葉、ありがとうございます。こちらこそ、これからも静岡の患者さんがいろいろお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。



A社(白内障手術器械のメーカーさん)のBです。

先日は先生の最終日でありながら、お忙しいところオペ見学させて頂き、本当にありがとうございます。別件で器械の搬入があり、OPE途中でちゃんとご挨拶もせず退室してしまい大変失礼致しました。

前回拝見できなかった先生のOPEは素晴らしく私にとっても大変勉強になりました。 お世辞ではなく、私がこの会社に入ってからそれなりの数の先生方のOPEを見学させて頂いておりますが、患者さんの眼に負担が少なく、かつ効率の良いOPEというケースは実際少なく、先生の場合、患者さんを大事にされている事がひしひしと感じられ、その上で非常に洗練された手技であったと感じております。

今後も基本的に月一ではありますが、色々とお教え頂きたく思っております。次回の西伊豆も楽しみです。今度は旅館に泊まって温泉に入りたいと思ってますが・・・。4月末も宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。

B君、ありがとう。プロからほめてもらえるのはうれしい。まじでうれしい!


りくこバアチャン、Dr.大高のまな板に乗る。(白内障Ope体験記)

チョット前置きが長いけど、辛抱して読んで下さい・・・・・・。

りくこバアチャン(以下私)が、日赤に通い始めたのは平成7年頃からでした。眼がなんとなく、塩水にかかったように痛くて、日赤眼科に診察に行きました。そのときの先生、名前忘れました(失礼)。目じりに何か細い試験紙のようなものを挟み、「これはきっとドライ眼ですね。目薬出しておきます。」・・・といっておしまい。何も無かったら半年後に又検査に来る用にと予約が入りました。

それから半年後に行きました。なんと先生が変わってましてん。そして半年、なんと又先生が変わってます。次の半年も同じこと。なんと日赤と言う病院は先生の入れ替えの多いこと、これなら開業医にお願いしようかなと思い始めたときに、Dr.大高に出会いました。今度の先生も、又いつもと同じかと思っていたら、なんと懐かしい関西弁、おっ今度はいけそうだぜ、と思い、

「先生、今度来るまで、やめんといてや」
「心配せんでええ、やめへん、やめへん」

それから、又半年、なんと先生が居てはりました。それから又半年、まだ居はりますねん。

その頃、静岡市の中心街の{すみや}と言うパソコン店に私が入ったときのこと、奥の方で聞き覚えのある声

「オイ、オイ、僕のしま荒さんといてや」・・・・

静岡のド真ん中で懐かしい関西弁、これはきっと大高先生や、と思って奥にはいっていくとヤッパリ・・・

「先生今晩は、」

「何や井上さん、こんなとこに用あるんかいな」

私はびっくりしましたよ。患者の名前をきちんと覚えてくれている。こりゃええ先生や。よっしゃこの先生に私の目預けよ・・・このとき決心しました。

でも私も大阪生まれ、

「ばあさんがパソコンしたら、いかんのかいな」と言ってしまいました。ずいぶん失敬なばあさんです。

この時からです。先生にりくこさんと呼ばれるようになりドンドン親しくなりました。

そして今年(H15年)の春のこと、

「先生、このごろパソコンつらいわ、半角英数が見えにくくなってきてな、あかんわ」

でもまだ、どうにか裸眼で新聞は読めました。(余談)

「よっしゃ、よう見えるようにしたろ。何時やる。」

チョット、チョット、待ってくれや、そんなこと言われたかって、こっちにも都合があるやん・・・・・

「夏過ぎてから、秋になったら又相談に来るわ」

「そうか、ホンなら10月頃やな、」

といってカルテに記入されてしまいましてん。このときから私はもう俎上の鯉(鯰かな?)・・・

いよいよ秋になりました。心中穏やかならずです。眼見えんようになったらどうしよう、費用はどのくらいかかるのやろ、主人の面倒は(主人は要介護3)どないしょう。そら心配でしたヨ。

でも、先生との約束を破るのも嫌だし、10月のはじめ相談に行きました。

「ゴチャゴチャ言わんと決めてしまい、人間決断の時期が大事や・・執刀日は火曜日、月末と月初めなら、

どうにかなるんやな、ホンなら28日と4日、ハイ決まりましたっと。右眼からいくで、エエナ」

「あかん、左眼からにして」

「普通は右からするねん。ややこしい事いうたら、間違えるで、まあ、どっちからでもしたるけど」

診察室から出るとすぐに、いつもの看護婦さんが来て、「今から検査する? 明日でもいいよ」 「明日するわ」 「入院は3泊4日が普通だから10日間にしとくよ、途中は外泊にしたらいいからね」、なんだかバンジージャンプを後ろから押されたみたいに決まってしまいました。

検査は、血液検査、心電図、尿検査、胸のレントゲン、これくらいでした。

やっと、病院体験・Ope体験に入ります。長い前置き呼んでくださって有難う。

入院は手術日前日のPM1時半、夕食前に柴先生(手術着をきるとすごくダンディ)が見えました。大高先生が忙しいから私が明日の説明をします、処置室(眼科病棟あります。)に来て下さい。

そこでは目玉親父のような模型を出して、色々説明を受けます。ここにある薄い膜の中にレンズを入れるのですけど、時にはコレコレのようなことが、たまに起こります。このコレコレがたくさんあってよく覚えていませんが、少し心配になりました。

手術も右眼からか、左眼からかもハッキリしなくて何度も確かめました。さらに麻酔のことも目玉に注射するの?と聞くと目薬でやるのだとの話、私は歯医者さんに余り麻酔が効かないね、と言われたことがあったので、先生頼むよ、と念を押してしまいました。

その後ベッドに戻っていると、大高先生が!(^^)!を見せてくださって、

「心配ないから今日はゆっくり寝いや・・・・・」

たった一言なのに、心の奥にジーンとくる優しい言葉です。さすがDr.大高、いい先生。

翌28日、12時、13時、14時、抗炎症、瞳孔拡散など手術に必要な目薬を射します。さらに14時から点滴をはじめます。

二本目の点滴をしたまま手術室に向かいます。そこで5回、目薬を射します。多分これが麻酔の目薬でしょうか?

いよいよまな板の上に乗りました。大高先生とサブには芝先生、芝先生は昨日の説明のときに私が心配していたことを、「間違いないよ、右・右。これから消毒するよ、しみるかい、麻酔が効いてないとこれは超しみるのだよ。ほら痛くないだろう、効いてる効いてる。」

柴先生もとてもやさしい。そうこうしている内に右眼だけをバッチリあけたまま固定され、きっと私の顔は右眼だけ残して全部覆われていたのでしょう。

右手に点滴、左手に血圧計、指に血中酸素計

「さあ、りくこさん始めるで〜 よう見ときや」、 「光ってるとこ よう見るねん ソウソウ ええ患者さんや」

「先生、なんやこれ、スッゴイきれいやんか、グラデーション、それとも虹、そうやオーロラ」

「きれいやろ、次これ入れたらもっときれいで」

なんて話している中でも、手術の方法を他の先生に指導しているDr.大高。ヤッパリ鯉になってよかった。

感激しているうちに手術終了。その間、わずか15分足らず。

大きな眼帯をつけて、まな板から降りた私に握手してくれた先生の手が暖かい。

手術中に見える映像

夢かうつつか幻か。

この黒いところがもっと光り、常に動いているのでしっかりと掴めません。

手術後の痛みもあまりなく、夜の食事も普通に摂れました。

翌朝、処置室に呼ばれました。そこでもう眼帯をはずすのです。そして眼球保護用のメガネをかけます。

傷はとてもきれいになっていますよ大丈夫。もう本を読んでもテレビを見てもいいですよ。と診察してくださったのが、これまた、眼科に掃き溜めの鶴が下りたような美しい兼田先生。

病室に帰って来たのはいいけど、窓から入る光を恐る恐る見るとズンと突き上げるような痛みがある。どうしたのだろうと、静かに1時間ほど目を閉じていたのです。

その後、だんだん光に慣れてきて、昼ごろになると驚きましたね。見えるどころではありません。世の中の色がこんなに美しいものだったのか・・・・・あわてて写真の本を開いてみました。またまた色が右眼で見るのと左眼で見るのとが違っているのです。色の彩度というのか、抜けるように白く、抜けるように青く・・。

夜、大高先生が顔を見せてくださいました。

 「ドヤ、よう見えるやろ・・・・・」

 「いや、ホント、こんなに見えるとは思わなんだ。感謝、感謝」

りくこばあさん、思わず手を合わせましたんや。

先生は、ニコッと笑って親指を立てて、「おやすみ・・・・」

なんともいえない微笑が、ハートをくすぐりました。

その後1週間、今度は左眼です。

もう右眼がこれだけ見えるのだから、左眼は見えなくなってもいいや、すっかり度胸が据わった私。

同じ順序で手術が始まりました。

楽しい音楽が聞こえます。サブは美しい兼田先生だったと思います?

眼を固定され、鯨の陸上輸送のように眼に水(薬)?をかけながらやるのだなと今度は余裕です。

 「よう見ときや、これが浪速のおばちゃんや・・・」

 「違う。浪速のいとはんや」

 「そうか、肝っ玉ばあさんや」

なんて言いながら、始まりました。前のように後輩を指導しながら、私にも声をかけて気分を和らげてくれる

Dr.大高。

やはり手術は15分足らず。眼帯をしてまな板から下りました。

 「先生、今日は握手してくれへんの・・・・」

 「オッ、よっしや、よっしゃ、いつでも度があわなんだら、入れ替えたるからな」

そんなに、簡単にいわんといて、私の目やでと、喉元で言いながら手術室を出ました。

両眼を手術して、今日で2週間チョットです。この体験記も全く裸眼で入力しています。

手元用、中間用、外出用、3つの眼鏡を持っていたのが嘘の様。携帯が鳴ってもまず眼鏡を探す必要がなくなりました。スカイメールもバッチリ。

最後に費用は入院費用も込めて6万円もあればお釣りがきました。

ここまで読み進んで下さった皆様有難うございました。

又、どうしようかなと考えていらっしゃる皆さん。恐れず、慌てず、大高先生を信じて、手術を受けてみましょうきっと、娘や息子の晴れの姿、七五三の孫の可愛さetc、etc、etc、etc、・・・一段と美しく目に映ることと思います。

本当に大高先生はじめ日赤の皆様方ありがとうございました。もう一度ここで、おおきに・・・・・・・・

2003/11/13 riku-71

それにしても、自分が話してる内容を客観的に読まされると、ずいぶん調子のいい医者ですねぇ(笑)。ま、医者と患者さんの関係がどんどん不毛になっている時代だからこそ、患者さんは家族というポリシーを大切に、楽しいお付き合いをしていきたいと思っています。


白内障

私は、京都からはるばる静岡の大高医師に白内障の手術をうけに行きました。

最初は不安が、思いっきり安心に変わったのは、あれこれ考えている間もなく手術が終わったことでした。痛くもなく、血も出ず、本当かなあと思うぐらいでした。

翌日来院して、眼帯をはずされた時の様子は経験した者でないと分からない。鮮明な光の輝きが一面に広がり、何もかも見えるですもの・・・・

霞が掛かって見えにくかった右目が、はっきり見えるんです。

大高医師に言われてたように、もっと早くに手術の決断をしたら良かったと思っています。

現在細かい字の他は、めがね無しで快適に過ごしています。そうそうかんじんなことは、値札が裸眼で見えるんです。

功、本当にありがとう。 

京都府 大高万里子 64歳

これは私の実の母なんです。せっかく医者になったからには、自分の親にも自信を持って手術をできるようになりたいと思っていたので、一つの目標が達成できてうれしかったです。自分の親の手術もできないのに、大切な他人様の目は預かれませんしねぇ。

手術のきっかけはこうです。

「おかぁさん、この人間ドックの結果、右目0.1、左目1.0になってるわ。右目、1.0の間違いやろ?とんでもないミスプリやなぁ。」

「あ、私、右目ぜんぜんみえへんねん。左目だけでみてるねんえ。はははは」

「(^_^;)・・・・・・・・・」

ちなみに、私の母親の小噺をもう一つ。

「功、前に送ってくれたビタミンC、めちゃめちゃええわぁ。ありがとう。」

「お肌でもきれいになったか?」

「いや、それはぜんぜん変わらへんのやけどなぁ、あれ、すごいおいしいねん♪」

「(^_^;)・・・・・・・・」

父の小噺を一つ

「功、お前が前に送ってくれたお薬、あれ飲んだらなぁ、なおってほしい傷だけちごてなぁ、前からあった体中の傷が全部治ってしもたわ」

「よかったやん。」

「いや、わしなぁ、あれ、強すぎる薬やと思うから、飲むのやめたわ」

「^_^;・・・・・・・・」

医者の実家でこの状態ですから、みなさん、僕のところに来るのに恥ずかしいことなんか何もありません。ご安心下さい(^_^;)。



まりちょんの白内障Ope体験談♪

〜プロローグ〜

 私が大高先生と運命的な出逢いを果たしたのは、忘れもしない平成13年3月31日土曜日の事だった。
 年が明けた2月末頃から「ものもらい」に悩まされていたのだが、そんな3月20日に事件は起きた。左眼にできた「ものもらい」が膿んできてしまったのだ!それまでかかっていた眼科にとんで行き『針で突いて膿を出す』という非常に古典的な方法(ニキビもそうしますよね?)での手術を受ける羽目に・・・。麻酔なしで行われた為とても怖い思いをした。
 それから数日後、両眼とも何やら白いモヤがかかったようになっている事に気付いた私は次に病院に行った時にその事を言うと、視力検査をした後で
「白内障の疑いがあります。ココではちゃんとした検査が出来ないので、紹介状を書くので一度大きな病院で診てもらって下さい。」
と言われ、小学生の頃から日赤眼科にお世話になっていたので、日赤眼科副部長先生(大高先生の当時の上司)宛てに紹介状を書いてもらった。

〜1章 医者なんて・・・〜

 実際に日赤に行ったのは3月27日火曜日だった。診察室に入ると女の先生がいた。彼女は何の説明もなく
「採血するので、腕を出して下さい。」
と言った。私はいささかムッとしながら腕を出した。採血が済むと検査結果が出るまで時間がかかるとかで待合室で待っているように言われた。
 再び診察室に入ると女の先生は検査結果とにらめっこをしていた。が、やがて口を開き
「間違いないですね。白内障です。紹介状にも書いてありましたが・・・。そんな事より、血糖値がものすごく高いです。今内科に予約を入れたので行って下さい。」
と言われた。
 私は日に日に眼が見えなくなっていく!と必死で訴えたが、先生は血糖値に気を取られた為なのか、或いは私ごときの言う事等どうでもいいと思ったのだろうか、真剣に話を聞いてくれなかった。
 はっきり言ってムカついた。『何なのよ!そんなに血糖値とやらが大事な訳?眼が見えなくなってる事は重大じゃないの?』そう思いつつ内科の前で待っていると名前を呼ばれた。診察室に入ると、早見優を少しキツくした感じの先生に
「糖尿病です。入院して下さい。」
と言われダブルショック!ガーン!( ̄□ ̄;)!!白内障についての知識もなかったが糖尿病についても、小5の時に母親を同じ病気で亡くしているにも関わらず知識がなかった為である。因みにこの時、血糖値は400以上、HbA1cは16.7%もあった。ベッドが空き次第入院する事になってしまった。
 入院日を待つ間にも視力はどんどん低下していき、メールは見れない・送れない、TVも本もダメ、車の運転もっての他!等と日常生活に思いきり差し障りが生じていた。明らかにおかしい・・・。素人である私がその異変を敏感に嗅ぎ取っていた。
 わざわざ日赤まで行ったのに『日に日に見えなくなっていく』という私の話を真剣に聞いてくれず「血糖値が高い!」と大騒ぎをした(←私にはそういう風に見えた)眼科医に対して激しい怒りと不信感を持った。そして、そんな医師に当たってしまった不運を嘆き、呪った。
 そうしているうちに30日になり内科病棟に入院した。私のベッドは廊下側だったが窓側の人が仕切りのカーテンを閉めっぱなしにしていた為、部屋の中は薄暗く、日々視力が低下していた私は本格的に暗い人間と化していた。自分でも「私ってこんなに暗いヤツだった?」と思う程に・・・。
 翌朝検査の為に村上先生が病室に来られたのだが、既に村上先生の顔はボヤけてしか見えなくなっていた。
「先生、このあいだは先生の顔もう少しちゃんと見えたんですけど、今日はぼんやりとしか見えないです。先生の顔、わからない。」
そう告げると、村上先生は土曜日だったにも関わらずすぐに眼科外来に予約を入れてくださった。
 遅い朝食を(検査のために時間をずらされたのだ)済ませてから看護婦さんに眼科外来に行くように言われた私は
『ふん!どうせこないだの女医でしょ。それなら行くだけ時間のムダじゃん!話もちゃんと聞いてくれないし、血糖値のが大事なんでしょ!』と思いつつ眼科外来へ向かったのだが・・・。

 〜2章 運命の出逢い〜

 「秋本愛里さん、2番にお入り下さい。」
と男性の声で呼ばれ(ん?こないだとは違う先生だ!)と思いつつ診察室に入り、先生の前の椅子に座るか座らないかのうちに大高先生は
「まりちゃん、このままほっとくと、3〜4ヶ月で失明するよ!」
という言葉の爆弾を投下して下さり、私は椅子から転げ落ちる位驚いた。日に日に見えなくなっている事は自覚していたし、このままだったらいつか見えなくなってしまうだろうと薄々感じてはいたが、それを専門家に言われるとやはりショックである。
「えっ!?」
と言ったきりショックで言葉を失い、思考回路もプッツン!目の前が真っ暗になった。
 そんな私をよそにどういう状態なのか、BESTな治療法は何なのかを熱心に説明して下さる大高先生・・・。実は全く理解してなかった。ごめん、先生 m(_ _)m
 頭の中のパニックから立ち直った後思ったのは(失明だって?治らないのかな?どうしよう・・・。父になんて説明しよう?)という事だった。それを見透かしたかのように
「じゃあ、今からお父さんに電話して説明とか、手術の同意取るから!」
と当然のことのように言われ、看護婦さんから電話機を受け取り親の携帯に電話して説明をして下さった。私は先生が電話の向こうの父に話している内容を聞き理解・納得した。が、「若いのに珍しいです。」とか、「まりさんみたいに進行が早いのは1万人に1人位です。」などと言われているのを聞き(なんじゃそりゃ。私は珍しい動物か?)と思った(笑)
 私がして欲しいと思った事をアッサリやってのけ、話を真剣に受け止めてくれたこの大高先生という人なら、絶対に私の眼を治してくれる!この人に全てお任せしよう。これが神の定めた運命なんだわ!本気でそう思った。名前を呼ばれる寸前まで「行くだけムダ」とか思っていたのに・・・だ。何が一番大切か、何を優先すべきなのかを見極めるのは本当に難しい事だと思った。医師の場合、患者の命を(一生)預かるのだから責任は重大である。どんなに些細な事でも全てが生命につながっているから、医師は患者の話を真剣に聞くべきだ。とそんな事を考えている間に
「何か不明な点がありましたら、いつでもお電話下さい。電話番号は、090−××××-○○○○です。」
と電話を終わらせた先生は
「早いほうがいいから・・・。」
とつぶやくように言われ、テキパキと手術日を決めてくれた。日程は4月3日の火曜日と5日の木曜日。右眼のが進行しているという理由から左の順にする事に・・・。その際挿入する『眼内レンズ』についても説明してくれ、そのうえで
「まりちゃん、遠視用と近視用、どっちがいい?」
と聞かれた。どっちのがいいのか微妙である。しばらく悩んだが今まで遠視だったし、免許証も眼鏡必要って書いてあるし、遠視用でいいや!と安直に考え
「遠視用で・・・。」
と答えると
「遠視用な。オッケー!」
と言われ何かカルテに書き込まれた。そして、右眼手術の前日に眼科病棟に移動することまでトントン拍子に決まっていった。あまりの手際のよさにただ感心するばかりだった。
 私の場合、持病になってしまった(T_T)糖尿病の『低血糖』という症状が手術中に起きるとマズイという問題があったらしく、内科の村上先生も日ごとにインスリンの量を調節して下さった。

 〜3章 手術前日〜

 週が明けた4月2日月曜日の午後、内科病棟から眼科病棟に移動。夕方、病棟内の診察室に呼ばれて行くと、大高先生と私より少し年上らしい男の子がいた。大高先生は
「まりちゃん、まりちゃんの前に手術受ける、××君だよ。××君、××君の後に手術受けるまりちゃん。」
と簡単に紹介してくれたが、この時点で大高先生や村上先生の顔がちゃんと見えていない私に「××君」の顔が見える筈はなかった。
 それから先生は目玉のオヤジのような怪しげな(笑)模型を使って診察室でしてくれたような説明をもう一度わかりやすく噛み砕いて説明して下さり、この先生に任せておけば、絶対に大丈夫だ!と直感的に思った。そしてその直感は見事に当たるのだが、それはまだ先のお話・・・。
 大高先生による手術講習会(?)済んで部屋に戻ると、看護婦さんが『入院治療計画書』なるものを持って来て手術室に入るまでの説明をしてくれた。「小さくて細い字は見づらい。」と言ってあった為、A3版にまで拡大コピーされ、太マジックで記入されたそのプリントは今見ると(こんなに大きい字でもやっとボヤけて見えたんだよね)としみじみ思う物だ。(←ここに入院治療計画書の画像付けてね♪)

 〜4章 右眼OPE〜

 手術当日。朝から極度の緊張気味。気を紛らわせるため、大好きな少年隊のアルバムを聴いていた。
 8:30から1時間おきに目薬(抗炎症剤と瞳孔を拡大させる)が始まり、10:30の3回目から点滴も始まり、10:30以降は10分おきに2回合計で5回の目薬を注し、2本目の点滴を受けながら大高先生の待つ手術室へ向かった。
 手術室へ連れて行かれた私が最初に出会ったのは残念なことに(?)大高先生ではなく、青い手術着を着た看護婦さんであった。彼女に
「大高先生がお待ちかねだよ。」
と語尾にハートマーク付きで言われ少し緊張がほぐれた。ストレッチャ-に寝かされて手術室に入った私に大高先生も
「おっ!まりちゃん。待ってたで。」
とやはりハートマーク付きで言われた。
「まりちゃん、始めるで〜!」
という大高先生の一声で手術は始まった。
 一瞬逃げ出したいような気持ちになったが、ここまで来たらもう引き返せない・・・。というより、引き返したら確実に失明してしまう(笑)
 手術中に低血糖が起きないよう心の中で神に祈った。
「まりちゃん、消毒するで〜。痛かったら言ってな。」
先生の声でホッとしたのも束の間、めっちゃしみる(>_<)どうやら麻酔が効いていなかったらしい。痛みのあまり涙をボロボロ流しながら、
「先生〜痛いんですけど・・・(>_<)」
と訴えると
「ごめんな〜。」
と助手の人にだろうか、麻酔の量を増やすよう指示された。少ししたら痛くなくなった!それを見計らったかのように、
「どや、まりちゃん。まだ痛いか?」
と気遣いつつ、痛みのあまり流した涙を拭いて下さる大高先生の優しい心遣いにジーンときて泣きそうな位嬉しくなった。
「もう大丈夫、痛くないです。」
そんなやり取りの間もテキパキと手を動かしている大高先生。患者への気配りを忘れず、手術の準備も同時にこなしていくその手際のよさに感心した。私がそんなことをボケーっと考えているうちに右眼は器具で固定され、眼が閉じられないようにされていた。そして右眼以外の顔の部分は布で覆われた。
「まりちゃん、光ってるとこ見といて。」
と言われ、上を見上げるとボヤ〜っとキレイな色が見えた。(あっこの色すごくキレイだぁ〜★こういう色好きかも・・・。)などと思っていると
「おー、そこそこ!そのまま見ててな。」
と指示され、これでもか!という位真剣にそこを見た。あんなに真剣に物を見たのはあの時が初めてだろう(笑)その後も時折、
「まりちゃん、もう少し右見て」とか「左見て」という指示があり、その都度言われたところを見ると、
「そこそこ。ええ患者さんや。」
とか
「えらい、えらい。」
などと言われ(えらいって言うけど、私が言う事聞かないと、困るのは先生じゃん。私は何も困らんけん・・・。)と内心思っていた。
 器具のガチャガチャした音が聞こえてるなと思っているうちに手術は終わった・・・らしい。時間にして30分位だろうか。
 右眼に眼帯をつけられ、手術台からストレッチャ-に移った・・・と大高先生がそばに来て、何だろう?と思っている私の手に触れた。ん???と思ったが私も先生の手を握ってみた。大高先生の手はとても温かかった。口には出されなかったけれど、先生の手は言っていた。
「まりちゃん、終わったよ。お疲れさん!」
と。先生の私をねぎらう気持ちがギュッと詰まっていた。
 私の手はちゃんと
「先生こそ、お疲れ様です。ありがとうございます。」
と言っていただろうか・・・?
 病室に戻るとテーブルの上に昼ご飯が置いてあり、えっ!?今手術終わって帰ってきたばっかなのに、ご飯食べていいの?とビックリした。子供の頃、中耳炎の手術をした時は一日絶食だったからだ。
 いつもより遅い昼食が済んだ後も右眼に眼帯、左眼はよく見えないという状態で一体何が出来ようか?口惜しい事に何も出来ない。院内を歩き回る位なら出来そうだが、迂闊に歩き回って人様にぶつかったり、転んで怪我をしたら単なるバカ。結局ベッドに座って福山雅治を聴きながら午後の時間を過ごしていた4時頃だろうか。(そろそろ、福山さんも聴き飽きたなぁ・・・。)と思い始めた頃、青いYシャツにクリーム色っぽいネクタイを締めて白衣を羽織った大高先生が超カッコよく登場(*^_^*)
「まりちゃん、調子はどうや?痛くないか?!」
な、な、なんと、手術後のお見舞いである。手術後に患者のご機嫌伺いに来られた先生など今までにいただろうか?いや、いない。腰を抜かしそうな位驚いた。ベッドに座っていなければ確実に腰を抜かして立てなくなっていただろう。・・・と同時に感動し、大高功という医師のことが大好きになった。
「痛くないです。大丈夫、大丈夫。」
「痛かったら看護婦さんに言えよ!」
とニコニコ笑いながら(見えてなかったけど、声の感じでそう思った。)先生は言われた。
 見えていない時でもその人の印象はわかるもんだな、と感心した。大高先生の声はとても優しく、まるで母親のように全てを包み込むような慈しみに満ちていた。(この先生、本当にいい先生だわ・・・★)
 大高先生が仕事に戻られた後(やけにめかし込んでたから、夜デートなのかな?)等と野暮な事を考えていたせいだろうか、単に麻酔が切れただけなのだろうか、頭が痛くなり看護婦さんから痛み止めをもらった。

 〜5章 眼帯を外して・・・〜

 翌朝、朝食後に放送で呼ばれて診察室に行くき廊下で待っている時に看護婦さんが眼帯を外してくれた。そこで私が見たものは、視界が紫色がかったピンク色をした廊下の風景だった。一瞬、目を疑った。(なんで、変な色がついてるの?ま、まさか、先生あれだけ俺に任しとけ!って言ったのに、失敗したんじゃないでしょうね?)などと、大高先生が耳にされたら、失敬な!と怒られてしまいそうな事を思いつつ診察室に入った私を診てくれたのは堀先生。眼科の紅一点、美人さんだった。
「傷口はキレイなので大丈夫ですヨ。」
という言葉をちょうだいして部屋に戻った私は『ギッター』という器具を眼の保護の為に着け(ここにギッタ-の画像つけてね♪)ゴロンとベッドに寝転がった。
 しばらくぼんやり過ごしていると血圧を測りに看護婦さんが来た。
「あのー、なんか視界がピンク色っぽいんですけど・・・。」
 すると看護婦さんは
「人によって違うみたいだけど、最初は青く見えたり、緑に見えたり、まりちゃんみたいにピンクに見えたりするみたいだよ。」
と教えてくれた。(何で手術前とか眼帯外す前に言ってくんないかな?なーんだ、成功してるんじゃん。)前半はともかく、後半はかなり失礼である(苦笑)
 半日程経つとすっかり元のように見えるようになっていた。ほぼ2週間、日に日に見えなくなっていく恐怖と戦っていた私は天にも昇る程嬉しくなった。そんなhappyモードで一日を過ごしていた夕方、友達から送られて来ていたIメールを読んで返事を送っているところに更に嬉しいことが起きた。大高先生が前日と同じように颯爽と登場されたのである(*^_^*)慌てて携帯をテーブルに置く私・・・。言う間でもないが、病院は携帯禁止である。当然、ヤバイ。怒られる!と思ったのだが、先生は見て見ぬ振りをしてくれたのだろうか、本当に見ていなかったのだろうか、何の注意もなしに
「どや、まりちゃん。よく見えるだろ?!」
と満面の笑みをたたえて得意げに言われた。
「はい、よく見えます(^O^)」
思わず先生に抱きついてkissの雨を降らせたい衝動にかられた。(やんなかったけど。)同時に本来の自分を取り戻した。

 〜6章 左眼OPE〜

 明けて5日。再び手術。今度は左眼である。予定時間はこの日ラストの17:30。時間を持て余し気味だった私は「面倒くさいからヤダ!」と言う妹に頼んで図書館でKinkiKidsのアルバムを借りて来てもらい、それを聴きながら時間を潰した。
 15:30から目薬が始まり、2本目の点滴をしながら手術室へ向かったのは予定よりも1時間遅れた18:30だった。
 2日前に1度経験しているからだろうか。いや、違う。先生を信頼していたから・・・だ。今度は初めからかなりRelaxしていた。2日前と同じように、大高先生の
「まりちゃん、始めるで!」
という声で手術は始まった。(冷たっ!なんか水かけられた!)なんて状況判断出来るこの余裕。現金なもんです(笑)2日前は痛かった消毒も今度は大丈夫!と思いきや、またしてもしみた(>_<)
「先生、痛いです(>_<)」
と涙を流しながら訴えると先生は
「ごめんな〜。」
と言って前回と同じように目元の涙を拭きつつ、麻酔の量を増やすように指示してくださった。
 そんな調子で消毒が痛かった他は何事もなくあれよあれよという間に手術が終わった後、大高先生は
「近くのがよかったらいつでも言ってな。オレが変えてやるよ!」
とアッサリ言われたのだった。(そんな簡単に言わないでよ。)と思った私の耳にそれまで手術室内で流れていた曲が突然聴こえてきた。
 「恋人には 戻らない 僕は僕のものになって〜♪」
奇しくも右眼手術後に部屋で聴いていた福山雅治のIT'S ONLY LOVEだった。私が好きな1曲である。
「あっ!福山さんだっ!!」
場所と自分の立場を忘れ思わず叫ぶと何事かと思ったであろう大高先生がすかさず、
「なに、まりちゃん。福山好きなん?」
とツッ込んでくれた。
「うん、大好き(^O^)」
「じゃあコレ、終わりまで聴いてくか?」
「聴いてく、聴いてく!聴いてってもいいの?」
とタメ口叩く始末。
 これには流石の大高先生もあきれたように苦笑された。・・・因みにその場にいた他の先生や看護婦さんも笑っていたようだ。(ん?何か変なこと言ったかな?)と思いつつ、結局最後までIT'S ONLY LOVEを聴いて手術室を出てから(ああ、そうか。手術終わったばかりの人間が、福山大好き!と豪語して1曲最後まで聴いてけば先生もあきれるわね。)と思った。今までこんな患者はいなかったんだろう(^_^;
 部屋に戻ると夕食の時間はとっくに過ぎており、使い捨てのお弁当箱に詰め替えられたすっかり冷めきった夕食を食べている所へ手術着の上に白衣を羽織った大高先生が
「まりちゃん、調子はどうや?痛くないか?」
と颯爽とご登場(*^_^*)不意をつかれて、ご飯をのどに詰まらせそうになってしまった。きちんとご飯を飲み込んでから
「はい、大丈夫です。」
と答えた。まだ麻酔が効いてるから当たり前?とも思ったが。
 この時、父と下の妹がいたのだが(私は三人姉妹の長女で、妹達も大高先生の患者。三人揃ってお世話になっていた。・・・恐ろしい偶然である。)先生は父にも爽やかに挨拶され、来た時と同じように颯爽と帰っていかれた。
 一日、外来と手術とで相当お疲れになっている筈・・・。そう思うと、先生の患者を想う気持ちの強さとその心遣いはすごい!と感心せずにはいられなかった。そして感謝の気持ちでいっぱいになった。
 先生が帰って行かれた後
父・「おい、あの先生、こないだ(3日)も来てくれたのか?」
私・「うん。昨日も一昨日も来てくれたよ。」
父・「いい先生だな。おまえよかったな。」
先生の患者を想う気持ちは患者だけでなく、家族をも感動させている。

 〜7章 眼帯を外して・Again〜

 翌朝、朝食後放送で呼ばれ診察室に行くと私の番になって機械が壊れるというハプニング。この日の診察は私の(笑)大高先生だったのだが、
「あかん!いかれた!」
私は自分の眼の事を言われたのかと思い、ギョッとした。・・・と続けて、
「まりちゃんコレ、(機械)ダメんなった。悪いけど、下(外来)に来て。」
(なんだ、機械か・・・。ビックリしたー)と思いつつも
「はーい。わかりました♪」
とよい子の返事をして階段で外来まで降りて行った。
「秋本愛里さん、2番にお入り下さい。」
と呼ばれ診察室に入り、初めて両眼でちゃんと見ることが出来た大高先生の顔は第一印象(声だった。)通りの笑顔が素敵で優しそうな雰囲気の渡部篤郎に似た感じの方だった。(余談だが、渡部篤郎がTVに映っているのを見て、あれ?!大高先生?と思った事がある。)
「今日初めて先生の顔が両眼で見る事出来て、すっごく嬉しいです。先生、男前で・・・(*^_^*)」
と言うと、大高先生は
「ありがとう!まりちゃんも可愛いよ。こんなことなら今朝、ちゃんとヒゲ剃ってくりゃ良かった・・・(T_T)」
と言われ、私はどう反応したもんかな?と困ってしまったが、そばで私達二人の会話を聞いていた看護婦さんは笑いのツボにハマッたのか、大爆笑していた。
 ともあれ手術が大成功した大高先生もご機嫌、先生に
「よっしゃ〜まりちゃん。ばっちりや!」
と太鼓判を押してもらった私も超ご機嫌。これで一日happyモードである。ただし、『ギッタ-』をつけなきゃならないという憂鬱感を除けば・・・の話だが。
 眼科には1週間ホームステイ(?)したのだが、手術後は毎日夕食後に大高先生が顔を出して下さり、時には少し話をして行ってくれたり・・・と本当に毎日がhappyだった。不謹慎な話だが、先生が病室に来てくれるのを毎日楽しみにしていた。

 〜8章 その後〜

 無事に内科病棟に戻った私は村上先生や看護婦さんに「明るくなったね!」とか「仮面ライダーみたい」と言われ、妹には「ウルトラマン」とからかわれ、見舞いに来た友人には「昆虫みたい」などと好き放題に言われまくった。(ここに仮面ライダーの画像付けてね♪)二十歳のいたいけな乙女がするにはかなり抵抗ありますよね?コレ。
 このオペ体験から早3年。ずっと大高先生にお世話になっていた。3年前にはこんなに長く患者としてお付き合いすることになろうとは思いもよらなかった。
 予約日にお会いする度に大高先生の患者に対する姿勢には脱帽する。こんなに自分のことのように親身になってくれる医師は他にはいないんじゃないか・・・?いつもそう思う。そして、あれ以来診察ごとに必ず聞く
「よっしゃー、まりちゃん。ばっちりや!」
という大高先生の名セリフは私を安心させるのだ。他の方もそうだと思うが・・・。
 退院してホームページを拝見し、先生の医師としての心掛けに感動し、メールしたのがきっかけでメールの交換をするようになり、眼のトラブルの時は必ず相談している。相談するのは眼のトラブルに限らず悩み事だったり、恋愛相談だったりもするが・・・。先生はそんな私の下らないメールにも真剣に解答をくれる。本当に落ち込んでいる時はありがたくて、涙が出そうになる。と同時に、先生の奥さんになる人は絶対に大事にしてもらえるんだろうな・・・。いいな、羨ましいな。と思うのだ。お付き合いするなら、先生みたいな男性がいいなと思う。そういう人にめぐり逢えるかな?もう、先生と出逢ったことで運は使い果たしてしまったかなぁ?
 眼のトラブルについては、大高先生に任せておけば絶対に大丈夫だと身を持って知っているからである。
 そして、こんなにいい腕で患者想いの先生を独占してはいけない!と思うので(本当は独占したいけど。)友人や知人に
「私がかかってる大高先生ってすっごく患者想いでいい先生だから、眼のトラブルあったら、大高先生に診てもらうといいよ!」
と宣伝している。先日も職場で「眼科の先生とメールやってるよ」と言ったら、「えっ?!眼科の先生?」と驚かれてしまい、そんなに珍しい事なのか?と私は驚いたのだが、普通は医者とメールしないのか・・・。うーん。友達が医者だから、珍しくないんだよな。なんて思ったりもした。
 大高先生には年賀状等で「私の眼をよろしくね!」と書き添えることを忘れない。先生も必ず「まりちゃんの眼は僕に任しとき!一生面倒みるよ。」とメールを下さる。先生に絶対の信頼を寄せている私は大高功という医師以外の眼科医に自分の眼を託す事など、もう出来ない。横浜だろうが北海道だろうが、どこまでも先生についていくわ!という勢いである。
 最近、大高功という人は実は魔法使いなんじゃないか?と疑っている。
「まりちゃん、ハリー・ポッターの読み過ぎ!」
と一笑されてしまいそうで、先生には口が滑っても言えなかったけど。(しまった。今言っちゃった。)でも、大高先生にそう思わずにはいられない何かがあるのだ。診察室内の空気や雰囲気が他の先生とは明らかに違うのだ。そこだけ時間がゆったり流れているというか、和やかになりホッとする。先生の診察を受けた事がある方なら、わかっていただけますよね?!あの感じ。

 〜エピローグ〜

 白内障の手術を考えられている方へ・・・。大高先生は私達患者の立場で考え『自分がして欲しい』と思う一番BESTな治療法を選んで下さる方です。ですから、安心して全てを大高先生にお任せして手術を受けて下さい。絶対に後悔しませんから!私が保証します!
 大高先生へ・・・。本当にありがとう!!先生のような名医と出逢うことが出来て私は本当にラッキーで幸せだと思っているよ。あの日先生に逢えずにいたら、私は今頃失明していたでしょう。先生は私の救世主です。
 横浜で『日本一の眼科医を目指す』と言われましたね。『日本一』と言わず『世界一』を目指して頑張ってください。・・・私は先生こそが世界一の眼科医だと思っているけど。
 私も自分の夢を叶えられるよう努力します。横浜の病院にも遊びに(?)行きますね。その時はよろしく(^O^)先生の健康と、これからの活躍を祈っています。

  愛里・24years old

まりちゃん、濃いわ。濃い。おたふくのお好み焼きソースよりも濃い。でも、その濃さがまりちゃんの持ち味やから、大切にしてくれ。まりちゃん見ると僕はいつもわらってしまうんやけど、人を笑顔にできるというのは大変な能力や。ありがとう。

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mail: otaka@isao.com